2.ブラック企業の思い出-⑨休職。そして、退職へ…
社会人1年目、会社の宴会芸の披露という、とてつもなくどうでもいいことで上司と先輩・同期達の板挟みになってしまい、取り返しのつかないほど疲労困憊してしまいました。
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…宴会芸の板挟みでとどめをさされることになるなんて思ってもいませんでした。
ただ、同じグループの上司と先輩からあれやこれや言われ続けながらしたくもない芸の準備を続け、私の体と特に心のライフは限りなくゼロになってしまいました。
もちろん、芸の準備をしている間も、年度末の仕事ピークに向けたプチ修羅場がちょくちょくあり、土日出勤も当たり前の状況になっていたのです。
1.どんどん強くなる薬、でも治らない
このころには、意思に反して体が動かなくなったり、急に涙が出て止まらなくなるなど、適応障害が原因と思われる症状が頻繁に出てくるようになり、普通に仕事をこなすにも支障が出る状態でした。
心療内科にも通い続けていたのですが、原因の環境が変わらないため症状は治まらず…対処療法的に薬に頼る毎日でした。
その薬もどんどん強いものになっていき…、それでも根本解決にも至りません。
自分でもそんな状況が怖くて仕方ありませんでした。
2.両親の説得で休職へ
文系・女性・院生という、就活三重苦でかなり厳しい経験をした私は、こんな状況でも仕事を辞める気にはなれませんでした。
前記事の繰り返しになりますが、仕事内容自体も嫌いではありませんでしたし、次の仕事が見つかる保証なありません。苦しい就活を今の気力を失った私が新卒カードも無く繰り返す自信はありませんでした。
そして何より、心も体も弱った状態では、大きな決断をすることができなかったんです。
気力がなくなり、退職という大きな決断ができず、結局ずるずると仕事を続けて症状を悪化させてしまうパターンは結構あるようです。
その数年後に偶然再会した、某総合商社に入社した友人も私とほとんど似たような状況だったそうです。
私が幸運だったのは、頼れて心配してくれる家族がおり、心療内科の先生からも話を聞いてくれて、休職するようかなり強く勧めてくれたことでした。
当時の私は、
『こんなに弱っている私に決断をせまらないで!』
と両親にイライラすることしかできませんでしたが、
異動ができない専門職、そして職場が変わるわけは無いので、そうなるともう、仕事をしながら回復するのは無理なんですよね。
ということで、2月頃から休職という選択をすることになりました。
3.休職後の症状
休職して緊張の糸が切れた私の病状は、勤務中のものとは少し変わりました。
基本家に篭っていたので新たな試練は湧いてきません。その点は良かったのですが、フラッシュバックというか…何かの拍子に凄く辛かったことを思い出すと涙が止まらなくなるなどの症状が続きました。
そして、それまで積もり積もった疲労の回復を体が求めていたのか体がまともに動かなくなり、寝て過ごすだけの日々でした。
小さいことの決断も出来なくなり、ご飯を買いにスーパーに行っても、何を買えばいいか分からなくなり、1時間位食品売り場をウロウロするなどしていました。
…完全に不審者でした(笑)
心配してくれた両親にも随分あたってしまいました…。
4.カウンセリングに通い退職を決断…
そんな日々が1ヶ月程続いた時、
『このままではいけない…。』
と、ずっと思っていた私は、カウンセリングを受けることにしました。
心療内科はいつも人で一杯で、先生とゆっくり話すことは出来ません。今のこの状況・気持ちを誰かに聞いてもらいたいという思いと、昔見ていたアメリカの有名弁護士ドラマ『アリーmy love』(※主人公が様々なカウンセリングに通うシーンがあります。)の印象もあって、カウンセリングを受けることを思い立ったのです。
民間のカウンセリングは値段的に厳しかったのですが、何とか自転車で行ける距離に、公的な団体が運営している比較的低価格の所があったため申込みました。
これが私にはあっていたようで、何度も通い、カウンセラーの先生との話を通じて徐々に力を取り戻し、休職から3ヶ月目に退職の決断をすることができました。
凄く勇気が要りましたし、夢が敗れたというか、不安と絶望で一杯になりましたが、かと言って職場に戻る勇気も無く、両親の支えもあって何とか決めることが出来きました。
…そして、失業生活へ!