2.ブラック企業の思い出-⑥長時間労働を考える
新規採用で何とか就職できた会社はブラック企業でした…。
配属されてすぐに月残業時間が100時間を超え、元気が出ない、体に力が入らない、涙が急に出て止まらなくなる、という症状が出始めた私に下された病名は適応障害というものでした。
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絶望…。
医師の強い勧めで職場に相談した結果、当面の間は20時頃に帰宅させてもらえるようになりました。そしてそれに対する周りの反応は…。
1.長時間労働=働き者?
職場では、長時間労働は働き者の証であり、美学であるという、社内で連綿と続いてきた教えに酔いしれる人達ばかりだった。
とにかくがむしゃらに仕事を!!!
という雰囲気で満たされていた。
そんな中、人数が少ない女性のしかも新入社員が20時頃に帰り始めるようになると、自然と目立つものである。
一応病気のことは必要以上に言いふらさないでほしい旨上司にお願いしていたが、私の事情はすぐに知れ渡り、皆の知るところとなっていた。
そこで沸いて出てきたのがおせっかいおじさん達だった。
話しかけてきたと思ったら、
『新人のくせにそんな楽してていいの?成長できないよ?』
みたいなことを遠回しに時には直接的に言われ、私のライフはどんどん削られていった。。。
正直、自身でも焦りが無かったわけでは無く、同僚達が当然のように働いている中一人帰宅させてもらうのは、結構勇気のいることだった。
その心の柔らかい部分を人に指摘されてしまうのは、とても辛いことだった。
でも、当時の私に言ってあげたい、あなたは十分働いていると。
まともに残業代も払わず、勤務時間の記録も残させずに社員に長時間労働させることで成り立っている会社の方が異常なのだと。
でも、当時の私は理論的にはそう考えつつも、感情面では自分の無能さ・弱さの結果によりこのような状態に陥ってしまったのだと自分を責め続けていた。
20時帰りになって体は楽になったが、相変わらず心はしんどかった。
2.早帰りするようになってからの癒し
終電ギリギリの電車には結構人が乗ってたが、飲んで酔っぱらっている人か、私と同じように夜中まで働いて疲れ果てている人ばかりで、とにかく静かだった。
しかし、20時過ぎ頃の電車には仕事帰りのサラリーマンだけでは無く、塾帰りの子供や学生など、様々な人が乗っていて、結構賑やかだった。
そして、同じような時間に帰宅するサラリーマンの人達の存在は密かに私を勇気付けてくれた。
ああ、こんな時間に普通に帰宅している人達がこんなにいる。
私は怠けているわけじゃない!
こんな時間に帰れる人が居ない私の会社が異常なんだ!
私は怠け者じゃない!
と思えたのだ。
電車の中、近くにいるサラリーマンの集団の『疲れた~』という言葉に人知れず癒される日々がしばらく続いた。