2.ブラック企業の思い出-⑤心身のバランスを壊す(3ヶ月目)
就職氷河期、厳しい就職活動を経て入社できた会社はブラック企業でした…。
ブラック企業のブラック研修を経て待っていたのはいきなり月残業100時間越えの業務量…。
次々仕事を振られるので、まずは手持ちの仕事を片付けようと早朝6時に出勤しても、なぜか職場にいて仕事を振ってくるワーカーホリック上司の下、私の心と体は早々に疲弊していったのです…。
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1.涙が止まらなくなる
職場で女性社員が泣く…これはやってはいけないことだと思っていました。
泣いちゃうと論理的に話ができなくなりますし、周りが困ると思っていました。なにより、
『だから女は!』
と、男ばかりの職場で思われたくなかったんですよね。。。
…でも、無理でした。
入社3ヶ月頃、心のバランスが崩れた最初の症状は急に涙が止まらなくなったことでした。
涙が出るきっかけは、怒られた時!とかでは無く、終わらない仕事を前に、
『もうダメだ!』
と絶望感に打ちひしがれた時、同僚に優しい言葉をかけられ気が緩んだ瞬間など、突然ふっと涙が出、それが止まらなくなってしまうのです…。
怒られたから悲しくなって涙が出る、という単純な構造では無かったため、完全に制御不能でした。
周りの人達は、突然涙が溢れて止まらなくなる私を見て、とても困っていたと思います。
ははは…。
2.体に力が入らなくなる
入社3ヶ月頃、体のバランスが崩れた最初の兆候は、体に力が入らなくなったことでした。
残業による慢性的な睡眠不足で、疲労が蓄積されていたのは当然なのですが、それとは別に常識の範囲以上に力が入らなくなったんです。
仰向けになって足を上げようとしても、全く上げられないんですよ。どんなに力を入れても。
朝は特に大変でした。
起き上がろうとしても中々起き上がれず、そんな中意を決して起き上がり、ゾンビのようにフラフラと会社に行き、仕事が終わり、家に着いた瞬間に力が入らず倒れこむと同時に、涙が止まらなくなる日々が続きました。。。
3.そんな私に下された病名
一人暮らしをしていましたが、日々の電話を通じて仕事の異常性で、私がおかしくなってきていることを感じ取った両親が、私を引きずってメンタルクリニックに連れて行ってくれました。
そこで下された病名は、
『適応障害』
※生活の中で生じる様々なストレスにうまく対処できず、抑うつや不安感などの精神症状が現れて日常生活に支障をきたす病気のこと。
私はブラック企業には適応できなかったということです(笑)
とにかく、今の状況を変えなければ症状が重くなることを医師に告げられ、職場に相談することになりました。それも凄く嫌だったのですが…。
4.職場の対応
医師の診断のことなどを話すと、当面の間、私の仕事はセーブしてもらえることになりました。
『満身創痍さん、そんなに仕事無かったはずなのに辛いの?これくらい仕方ないんだけどなぁ。とにかく、しばらくは20時頃には帰れるように仕事をセーブするから。』
と上司に言われ、嬉しいやら悲しいやら申し訳ないやら。
こんな状態になっても毎日20時頃までは仕事をさせられていることに、普通の企業に就職した友人達はドン引きしていたのですが、私はスタートから終電帰りだったので、
『20時頃に帰れるなんて、何て幸せなんだ!』
と、とにかくほっとしていました。
5.自分なりに原因を考えてみた
なぜここまで私は心と体のバランスを崩したのか…。
それは、単純に業務量云々というよりは、『絶望』しか感じられなかった環境や状況、私が求める考える生き方によるものだと今なら思います。
キルケゴールという人が『死に至る病=絶望』であると著書で著したそうなのですが、本当にそうだなあと。
・終電ギリギリで帰っていた私は、職場のグループの中では早く帰る方でした。
・職場は慢性的なオーバーワーク。残業月100時間以上でも繁忙期では無く、年度末に向けて仕事が増えていくことが確実でした。
※この状況が繁忙期などの一時的なものであれば耐えられたと思います。
・特殊な仕事だったので基本異動は無く、今の仕事を続ける限りこんな生活が続くことは確実でした。
・職場の人達のように、24時間仕事をするようにはなりたくありませんでした。
・でも、就職難の中やっと入れた会社です。辞めた後、再就職できる保証はありません。
そんなこんなが、私の『絶望』につながって、心身を犯していったのだと、今なら思います。
仕事の性質上、職場環境が改善する見込みは無いため、それが耐えられないのであれば、職場を離れる=転職する しか無いのですが、転職を決断する気力・精神力を既に失っていたのです。