何のために働くのか?子育て・仕事・不妊治療もするかも

共働き子育てや、仕事について考えたこと、2人目の不妊治療について書いていきます。

2.ブラック企業の思い出-⑧決定的な出来事

 グループメンバーとの出張中、倒れても誰も気づいて(助けて)くれない、大風邪をひいていても一人で初冬の東北出張に行かされる等々、社会人1年目にして長時間労働を始めとする様々な経験をしました。

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入社した年の冬には、突然の感情の昂りで涙が止まらなくなる、吐き気に悩まされる等々、適応障害は悪化の一途をたどっていました。

それでも私は退職を決断することができませんでした。

…それに、仕事自体は嫌いでは無かったんですよ。

ただ、単純に量が多すぎたんです。

そんなどっちつかずの中、退職に繋がる休職を決意するに至る決定的な出来事が2つほどありました。

1.男性新人を羨ましがる上司

 秋頃には来年の新入社員がどこに配属されるかが決まっていました。しかし、その年私が配属されたグループには、次年度の新入社員配置はありません。

隣のグループには、さわやかな男性社員が配属されることになったのですが、残業中、私の所属するグループのリーダーである直属の上司にそのことを自慢?しに来た隣のグループのリーダーに対し、上司は隣に座る私にも十分聞こえる声で言いました、

『いいなぁ、男の新人なんて。』と。

なんかもうね、当時はとてもショックでした。

 体調を崩して迷惑をかけていることは十分自覚していました。

期間限定でしたが残業をセーブしてもらったり、グループメンバーに気も遣わせていたと思います。

 ※残業セーブ期間でも残業は月50時間はありましたが。。。

でも、病気になった原因は、入社早々さばききれないほどの大量の仕事を振られ、それらを頑張りすぎた結果だったんです。

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数少ない女性社員として、頑張らなければいけないという思いもありました。

居心地の悪さを感じつつも、病気を抱えながら、何とか踏ん張っている最中、異動もほとんど無い特殊な体制下での直属の上司からのこの発言に、私はかなりのダメージを受けました。

『私が男だったらこんなことにはならなかったのだろうか。』

『上司も、女性社員が配属されて、ハズレを引いたと思っているんだな。』

『私が弱かったからこんなことになってしまったのか…。』

等々、色々考えずにはいられませんでした。

2.会社の行事に駆り出される

 冬に行われる会社の宴会は大掛かりなものでした。

 そして、新人だった私は、その年事務所に配属された同期数人とともに、集団で芸を披露することを命じられました。

体調を崩しているのでそれ所では無く、リアルに吐き気がするほど嫌でしたが、先輩幹事からの命令にノーが言えるわけも無く、仕事の合間をぬって話し合いが行われました。

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この新人による出し物は伝統なのですが、スタンスは部門により違いました。

私の所属では、そんなの適当に済ませてしまえばいいという感じでしたが、営業的な要素の強い部門の人達は、こういう行事も楽しみつつ立派にやりとげることも仕事のうち!という感じで、かなり真剣に捉えていました。

愚痴が言い合える数少ない同期は大切です。また、適応障害になっていることを、同期の全員に話しているわけでは当然ありません。なので、真剣にやりたい人達ともある程度歩調を合わせる必要がありました。

というか、同期達に今の自分の現状を説明し、できない理解を得る努力をするほどの気力と勇気が私にはありませんでした。

残業の合間に気持ち悪い笑顔を顔に張り付けながら、苦痛でしかない話し合いに参加し、その後仕事に戻ろうとした直後、直属の上司と先輩から注意を受けました。

『会社でこんなことの話し合いをするな!』

『仕事時間中にするな!』

『というか時間をかけるな!』と。

当時の私はどうしていいか分からず、ただただ上司と同期の板挟みで辛かったです。

毎日まともな時間に帰れる会社であれば、こんな話し合いを職場でする必要ありません。しかしここはブラック企業。同期も含めてブラック勤務にいそしむ中、みんなでさっさと帰って近場で打ち合わせをするなんて無理な話です。

その点や、先輩からの話であり会社から予算もつく案件(毎年のことなので当然上司達も知っている)であること、申請する残業時間には含めていない(そもそもこの残業申請自体がほぼうそっぱち)ことなどを伝え、少しは抵抗したのですが、全くダメでした。

上司達の主張も一理あったのですが、会社のトップも参加するこの宴会での芸披露自体をやめさせる気は無いんですよね。私にはどうしても、さらなる無理難題を押し付けられていとしか思えませんでした。

聞くと、同期の中でこんなことを言われているのは私だけだったようで…引き続き出し物の準備を進めるしかありませんでした。

やりたくもないことをするために体調不良の中、貴重な時間を割き、さらに上司や先輩に隠れてコソコソしなければならない状況は、さらに私の病状を悪化させました。

でも、配属事務所の中で唯一の女性新人だった私には、偉い人の接待等々、所属の理解が得られないままその宴会で様々な役割が課されることになりました。

本当に辛かった…。

何とかやり遂げた後、帰りの移動中、ほっとしたのか辛かった出来事が噴出したのか、涙が止まらなくなりました。

 

 この事件については、社会人経験を積んだ今の私ならやりようがあると思います。

でも、新人だった当時の私は、自分が我慢をして無理をして、何とか丸く収めることしか考えられなかったんです。

私のそういう性格が、病状悪化の一つの原因だったと自覚はしているのですが…、これらの状況をうまくさばける新人が実際どれほどいるものか…と、思わずにはいられません。

そして、私には無理でした。